元々は部長が千葉にお住まいだったので部室も千葉にあり、そこにわたしが仕事で上京する際に押しかけるスタイルでしたが部長のお引越しにより部室も移動。久しぶりの関東圏での部活で法王の絵を描きました。
これはドリフの神様コントのシチュエーションです。リンクはyoutubeなので見てくださいね。なかなか深いねんから。
部活のときはヨタ話をしながら絵を描くのがとても楽しいんですけど、今日も「やっぱ法王を描くときは自分のマスターを描きたくなるのよ」と笑みさんが言い出して部員の堂夏さんも「自分はアップル教だから法王にはジョブスを描きたい」と言ってはりました。笑みさんはモバイル教なので孫正義を描いてはりました→その絵
で、わたしは志村けんなわけですよwお笑い教ですよ。今まで自覚がありませんでしたがそりゃお笑いを信仰してないわけないやんって思いました。非常に大きな気づきでした。
この神様コントは耳の遠いじーさまの神様がいろいろ聞き返すのがおもしろいのですが、法王の数字の5、数秘の5の意味する主張とかクリエイティブさというのは基本他人の言うことを聞き入れない質のものなんですね。そこの類似性と、だんだんそれが不安になって行くと上からまた西洋の神様が降りてきて「わたしゃ神様だ」というというメタ視点を持っています。
この神様、志村けんのイメージと「パンクなマツムラキヨシ」というイメージだったんですけどどうも80年代のボーイジョージに似てるような。ウエイト板の構図だと前にふたり弟子がいるのですが、これはヒゲダンスを踊るマツムラキヨシとその弟子のつもり。それから、これまたウエイト板の構図だと法王の足元には鍵のかかった箱があってその中に「なぜ生きるのか」「なぜ死ぬのか」という答えが入っていてその箱を開ける鍵を持っていることが法王の存在理由であるということなんですけど、この絵では賽銭箱です。
法王のカードはおうし座と対応しているという説が有力なので現実派の法王なら「存在理由?そんなもん食えるのか?」「生きる理由?そりゃゼニや」とか言いそうだなと思って。
アタマの後ろにあるのはリンゴ。どこかからナイフが飛んできて刺さるのかもしれません。弟子とかマスターとかそういったものが延々続いていく合わせ鏡の無限回廊のような世界。もっとすごい人は必ずいて、すごい部分を謙虚に受け入れようと努力していく。ヒゲダンスを踊るにも努力がいるのですね。